コーヒーの思い出エピソード
2021/02/26

若き日の山の記憶

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熊おじさん さん

定年退職してから、自宅でコーヒーをハンドドリップするのが毎日の楽しみになった。リビングをゆっくりと満たしていく豊かな香り。そっと目を閉じると、若き日の山の記憶がよみがえってくる。

私は地方の高校を卒業し、東京の大学に進学するために上京した。新しい地でその後の人生を彩る様々な邂逅があったが、登山との出会いもそのひとつだ。
忘れもしない。私が初めて登った山は、都心から近い神奈川県の丹沢山地。大学の友人に誘われ、「よし、行ってみるか」と軽く応じたのがきっかけだった。

「丹沢の醍醐味を満喫するなら、泊りがけで縦走だな」
山好きな友人が物知り顔で言う。三ノ塔や塔ノ岳などが連なる表尾根を3日間かけて歩くという初心者にはややきつい行程だったが、若かった私は、むしろそれを刺激的な挑戦だと感じていた。テント泊の装備を詰め込んだ新品のザックを背負い、残雪を踏みしめながら歩を進めていった。

山の峰から峰へと続く稜線が雲の上にくっきりと浮かぶ。
標高1,491メートル。表丹沢エリア最高峰の塔ノ岳から臨む景色は、息をのむほど美しい。視界をさえぎるものはなく、市街地の高層ビル群まで見えた。

さっそく登山用の小さなバーナーでお湯を沸かし、インスタントコーヒーを淹れる。
「素晴らしい眺めと初踏破に乾杯!」
ホーローのマグカップを高々と掲げ、いくつものピークを越えた達成感を友人と分かち合う。澄み渡る青空とマグカップの白が鮮やかなコントラストを描き、360度のパノラマを独り占めした気分になった。

芳ばしい香りが山頂の風に舞い、鼻腔をくすぐる。そして、ごくりとひと口。その瞬間、体の中に得も言われぬ生気がみなぎった。
――いつものコーヒーがこれほど旨く感じるものなのか!
私はこの時、山の不思議な魔力に圧倒され、たちまち虜になった。

以来、登山はかけがえのない趣味となり、社会人になっても休日のたびにあちこちの山へ出掛けた。登山を通してたくさんのことを学び、生涯の仲間もできた。

山頂でのコーヒーは何度経験しても格別だったが、それでもやっぱり、初めての登山で味わったあの味は唯一無二だ。充実した人生への扉を開けてくれた1杯として、私の心の中でいつまでも特別な存在であり続けている。

本エピソードは、AGF®パートナー 熊おじさん さんの体験を基に執筆しました。

 

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