20代の頃、私はバリバリ仕事に打ち込んでいた。
責任ある立場につき、新人の指導を一任されるなど、社内の評価も上々。口では「あ~忙しくて大変」とぼやきつつも、大きなやりがいを感じ、充実した毎日を送っていた。
そんなある日のことだった。その後輩がやってきたのは…。
どこか学生っぽさを残す顔立ちをした新入社員の彼は、私より8歳年下。持ち前の人懐っこさですんなりと職場に馴染み、同僚や上司だけでなく、取引先からも気に入られていた。もちろん、指導を担当していた私にとっても可愛い後輩だった。
ようやく一通りの業務をこなせるようになった頃だろうか。休憩スペースでコーヒーを飲んでいると、彼がやってきていきなりこう言った。
「年下で頼りないならもっと大人になるよう努力するんで、つきあってください!」
だし抜けの告白に、コーヒーを吹いてしまいそうになる。
笑って流したほうがいいのか、本気に受け止めて応えるべきなのか。すっかり面食らった私は、
「コーヒーが飲めないうちはまだまだよ。ブラックの味がわかるようになったらね」
と、おどけて返した。
それから2人の関係に進展はなかったが、休憩の時には、彼は決まって苦手なはずのブラックコーヒーを手にしていた。
そして、何事もなかったかのように時が経ち、私の寿退社が決まった。
同僚たちに報告した日、彼が「先輩、一緒にコーヒーどうですか?」と声をかけてきた。休憩スペースには、彼と私の2人だけだった。
「俺、やっぱりブラックコーヒーって好きじゃないんだよね」
「フフッ。無理してるの、何となく知ってたよ」
いつも通りの軽い掛け合い。こんなお別れもいいかなと思った次の瞬間、彼は真剣な眼差しで私を見つめた。
「でも、先輩とのこういう時間が何より楽しかった。絶対幸せになって、旦那様といつまでもモーニングコーヒーを楽しんでください。あと、出来の悪い新人がいたこと、たまにでいいから思い出して欲しい」
あまりの真っ直ぐさに、少したじろいでしまう。私は心の動揺を悟られまいと、コーヒーを飲むふりをしてカップで顔を隠した。
もう30年も前の話だ。
足早に過ぎていく日常の中、ふと懐かしく思い出す。
ブラックコーヒーのようなまじりっけのない真っ直ぐさを。
本エピソードは、AGF®パートナー サボテン さんの体験を基に執筆しました。
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